原田曜平さんの「パリピ経済」とEDMを考える


博報堂ブランドデザイン若者研究所リーダーという肩書きの原田曜平さんが書かれた「パリピ経済 – パーティーピープルが市場を動かす」という本を読みました。

そこに書かれていた内容で興味深かったのは以下のとおりです。

(5/4追記:原田さんから一部説明をいただきました
05については、以下のとおりです。
原田曜平「EDMを発見したのはもちろんパリピではありません。何故だかhirataさんの読解では私がそう思ってるようにブログに書かれていましたが。。。」
Tomo Hirata「あれ、38Pに「EDMという音楽ジャンル自体も…日本のパリピが目ざとく見つけ、国内のシーンに持ち込んだものです」とあるので、そう思っていました」
原田曜平「文字をそこだけそのまま読み過ぎです。では、何故、フィクサーがいると思いますか?消費者として見つけ、という意味以外では読み取れないので曲解、誤解は困ります」
Tomo Hirata「お返事ありがとうございます。ということは、フィクサーが日本に持ち込んだと???」
原田曜平「持ち込むのは常にプロであることが多いかと」)
EDMを日本に持ち込んだのはパリピではなく、パリピがフォロワーであることでは見解が一致しました)

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01.「ハロウィン」は「単なるコスプレイベント」として定着した

02.靖国神社の「みたままつり」が「様々なトラブルや事件が続発」して休止に追い込まれた

03.「パリピはコミュニケーション力に長け、外交的かつ博愛主義者であり、人と人をつなぐことに無上の喜びを見出します」

04.「マスコミを通じて我々の耳に入ってくる頃には、既にパリピの間ではホットでなくなっている」

05.「パリピが流行らせたもの」というところに“ULTRA”というのがあって、「EDMという音楽ジャンル自体も、もともとは欧米のパーティーやクラブシーンでのムーブメントを、日本のパリピが目ざとく見つけ、国内のシーンに持ち込んだものです」という記述がある

06.“SENSATION”については参加者の発言として「パリピも多かったが女子はギャル系、男子はマイルドヤンキー系が目立った印象」、「選曲がミーハーなので、音を聴きたいパリピは物足りない」とある

07.パリピの特徴は「家が裕福」「読モ、ダンサー、DJが多い」

08.「EDMer」と呼ばれる、EDMを愛する人たちを総称する呼び方が広まっています

09.2015年3月の調査時点で「既にパンピーにまで行き渡った」と認定されたアイテムに「EDM」がある

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まず前提として、原田さんは代理店のマーケッターとして状況分析をされただけであり、その調査、分析力には敬意を表したいと思います。

その上で順番に、ハウス・ミュージック以降のダンス・ミュージックをリアルタイムで見てきた、“(パリピが大好きだという)EDM”のスペシャリストでもある僕がどう思ったか、書かせてもらいます。

まず、01と02は、いかにパリピと呼ばれる人種が物事の本質を無視するかを如実に表しています。それは若者の特権でもあるでしょうが、本質を無視するということは、根の無い植物を育てているようなもので、結果は「短期間での終了」か「激しく曲解、商業化された形での継続」しかありません。それによって問題が発生して、「みたままつり」のようにイベント自体が休止に追い込まれるという最悪の結果を招いた実例まであるということを認識するのは大切だと思います。

03は「博愛主義者」であるなら、相手の立場を尊重した行動ができるはずで、残念ながら同意できません。学生サークル的な集団づくりに長けているのは事実でしょうけれど。

04は、パリピの行動が浅く刹那的であることを物語っています。

05は、僕も含めてこのシーンにいる人なら誰もが間違いであると指摘できます。パリピはEDMに後乗りしただけです。そもそもEDMはハウス・ミュージックの系譜の伝統あるダンス・ミュージックであり、EDMイベントは’90年代のUKレイヴに原点を置くアンダーグラウンド起源のものです。EDCは、もう20周年なのですよ。日本にもちゃんとその流れのシーンはありました。それを、Lady GagaをEDMと思っている(苦笑)ような連中が日本に持ち込んで流行らせたとするのは、あまりに暴論でしょう。実際、僕がageHaさんと一緒にEDMイベントを始めた2012年当時に’EDM’という言葉を使っている人は、日本ではほぼ皆無でしたし、EDMという言葉は2009年頃のDavid Guettaあたりから使われだしたものです。EDMイベントが世界中で爆発的に広がったのは、その根底にPLUR思想があったからであり、ハウス以降のダンスミュージック、30年にもおよぶ歴史が、アメリカの資本力の元でマス化されて花開いたと考えるのが世界的共通認識です。Hardwellは最近のインタビューで「アメリカはやっと追いついたね」とまで語っています。実際、2014年のULTRAには昨年ほど、いわゆる“パリピ”的な人はいませんでした。まあ、本質論はパリピには、まったく意味がないのでしょうが、とりあえず“EDM”を彼らが見つけて国内に持ち込んだという誤った認識だけは訂正していただきたいと思います。

06は参加者の発言なので文責はないかと思いますが、“Sensation”の選曲がミーハーというのは、ありえないです。プレイしたDJは全員オランダのトップDJで、全員ふだんとあまり変わらないしっかりとしたセットでした。ヒット曲を連発している人などいなかったことは、ちょっと音がわかる人なら同意してくれるはずです。ちなみに、よくトップ40の仲間と誤解される“EDM”ですが、オールミックス・カルチャーとは本来ほとんど接点がありません。

07で「DJ」が出てきてしまうところに危うさを感じます。EDMのトップDJは、従来の意味での「DJ」ではなく、全員がプロデューサー/アーティストDJです。思いつきでパリピが手を出せるような代物ではありません。おそらくただPCで有名な曲をかけるみたいなことを「DJ」としているのでしょうが、それはEDMの世界では「ままごと」です。

08は、パリピの間で使われているのでしょうか? 僕の周囲の人間は誰一人、その言葉を知りませんでした。もちろん海外でも目にしたことはありません。僕らは一部のパリピが、実に自分勝手で粗暴なふるまいをすることにより、自分たちの築いてきた大切な音楽やイベントのイメージが悪化し、「みたままつり」のようになることを恐れています。「後乗り」でシーンに入ってきた人たちが荒らしまくったあげくに誰もいなくなった、では笑えないではありませんか。

09は、そのような短期的消費行動のもとに音楽文化を置かないで欲しいのです。前述したとおり、このシーンには30年の歴史があるのです。そもそも’EDMイベント’なんてものは実はないんです。あるのは’ダンスミュージック・フェスティバル’なのです。

いま“EDM”は、音楽面でもイベント面でも、世界的転機にさしかかっています。でも、その根底にあるのは’Music Unites Us All’という思想であり、それは永遠になくならないでしょう。“EDM”は、そもそもが“Electronic Dance Music”の略なのです。そこにはハウスもテクノもトランスもドラムンベースも流れを注ぎ込んでいます。文化を消費財のように見たり扱ったりしないでください。パリピとEDMを結び付けないでください。もう一度言わせてもらいます。彼らは、後乗りで入ってきただけなのです。認識を改めてください。お願いします。

Tomo Hirata (2016/04/17)

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