’90年代、四つ打ちの音楽は全部“テクノ”と勘違いされている時期があった。その頃、僕はUKのハウスにハマっていたし、むしろトランス的な音を創っていたのだが、“テクノ”に分類されて、説明に困ることが多々あった。Xtra(Yo-Cと僕が、新宿リキッドルームでレジデントDJをしていたパーティー)にNHKの取材が来て、「KEN ISHIIさんをどう思いますか?」みたいな質問を延々とされて、「いや、僕らがやっているのはUKのハウス・クラブやゲイ・クラブの日本版であって、テクノじゃないんです。クラフトワークじゃないんです。もっと快楽主義的なものなんです」なんてやりとりになってしまったことさえあった。
朝日新聞が、Fatboy Slimを“テクノ”と紹介していたのも覚えている。
その痕跡は、今でも日本版Wikipediaなどで見ることができる。ビッグビート系のアーティストまでテクノ扱いしているのは、ジャンル分けに正解などないにしても、訂正が必要だと思う。
今は、その“テクノ”役を“エレクトロ”が引き受けている。シンセが入っていれば、“エレクトロ”と呼ばれてしまうのだ。
僕は“テクノ”と“エレクトロ”の間には、意外に大きな溝があると思っている。
それは、メンタリティーの違いから発生する。
シンセを使いながらも、むしろ有機的な存在である“エレクトロ”が、USでB−MOREや、ヒップ・ホップと融合してエレクトロ・ホップになったのは、その流れで考えると自然なことだ。
最近のエレクトロが、ノイズの組み合わせというパンク的な方向や、オーガニックなリズムを志向するのも、おかしなことではない。
“テクノ”と“エレクトロ”は近くて遠い位置関係にある。それが面白い。