EDMはいまや世界中でメインのダンス・ミュージックになっていますが、その成り立ちは、ここ日本ではあまり知られていなくて、2010年代に入ってヒップホップ、オープンフォーマットやトップ40系の流れで出てきたという、とんでもない誤解まで見受けられます。
そこでこの「The History of EDM」シリーズでは、DJやプロデューサー、音楽ファンが覚えておきたい、EDMが発生するまでの音楽的流れを、楽曲例を上げながら、できるだけ簡単に時系列でまとめていきたいと思います。
とりあえず大まかな図表は、こちらをご覧ください。
まず、みんなが「EDM」と思っている音楽のほとんどの起源は、さかのぼろうと思えばどこまでもさかのぼれますが、「ハウス・ミュージック」と言い切ってよいでしょう。
逆に言うと、「ハウス・ミュージックが、よりたくさんの人たちに受け入れられるような、ポップな形や、大会場を意識した形に発展したものがEDM」というのが歴史的、音楽的には最も大きな流れなのです。
では、ハウスの起源はどこか、と言う話になりますが、「ハウス」という名前は、’77年に開店した、シカゴのクラブ“Warehouse”からつけられています。
そこで活躍したFrankie Knucklesが、ハウスのパイオニアであり、彼が’80年代中盤にリリースした「Your Love」は初期シカゴ・ハウスの代表曲です。
ほぼ同時期にニューヨークで開店したParadise Garageは、ハウス・ミュージックが隆盛となる直前期の伝説的ディスコで、そのレジデントDJ、Larry Levanがプレイしていたサウンドは「ガラージ」と呼ばれ、ソウルフルなガラージ・ハウスの源泉となりました。Larry LevanはFrankie Knucklesの盟友でもあり、ハウス・シーンへ与えた影響も巨大であったと言えるでしょう。
’80年代中盤は、ハウスがアンダーグラウンドから飛躍した時代で、シカゴ・ハウス・シーンからは「ディープ・ハウス」の元祖となるサウンドも生まれました。その代表格がMr.Fingersの「Can You Feel It」(’86)です。
ビキビキしたベース・シンセサイザーTB-303の音をフィーチャーしたアシッド・ハウスも、この頃シカゴから生まれています。
代表曲はDJ PierreらによるPhutureの「Acid Trax」(’87)です。
シカゴのお隣デトロイトでは、こうしたシカゴ・ハウスの動きに呼応するようにデトロイト・テクノが生まれました。このシーンのパイオニアはJuan Atkins、Derrick May、Kevin Saundersonです。
現在「テクノ」と呼ばれているダンス・ミュージックの多くは、ここにルーツがあります。
USのアンダーグラウンド・シーン、ゲイカルチャー、サブカルチャーの中から生まれたシカゴ・ハウスやデトロイト・テクノが世界的に注目を集めるきっかけとなったのは、UKを通してでした。
’87年にはSteve “Silk” Hurleyの「Jack Your Body」が、なんとUKシングル・チャートの1位になっています。
UKでは、この頃から野外レイヴや、イビサ島からのバレアリックの流れ、インディー・ダンスがハウス人気と合流して、’88年の“Second Summer of Love”を起爆点に、巨大なダンス・ムーヴメントが生まれ始めます。
The History of EDM – 1 (’80年代)~ルーツをたどればシカゴ・ハウス
The History of EDM – 2 (’90年代)~ハウス大躍進の時代 – US編
The History of EDM – 3 (’90年代)~ハウス大躍進の時代 – UK編
The History of EDM – 4 (’90年代)~ハウス大躍進の時代 – ヨーロッパ編
The History of EDM – 5 (’00年代)~エレクトロの台頭
The History of EDM – 6 (’09年~’10年)~EDMの起点
The History of EDM – 7 (’10年代)~ダンスフェスの爆発的人気上昇
The History of EDM – 8 (’10年代)~EDMシーンが巨大化
The History of EDM – 9 ~まとめ
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