なんでマッシュアップかけるんですか?

昨日、EDMFで会った人に「なんで他の曲のアカペラを載せたりして、普通にかけないんですか?」と聞かれました。「僕は、僕のDJセットでしか聴けない音楽を楽しんでもらいたいんです」と僕は答えました。

これ、けっこう重要なことなんです。

beatportのTOP 100を毎週チェックして、エレクトロ・ハウス/プログレッシヴ・ハウスのヒット曲を買って、ショートミックスでそのままつないでいけば、EDM DJはできます。今はPC DJもあるので、誰でも、そう誰でも3日もあれば、それはできてしまうでしょう。しかも、EDMの楽曲はフロアを盛り上げるという点では優秀なものが多いので、それでフロアはちゃんと盛り上がります。実際に、こういったスタイルでEDM DJをしている人は、日本には数え切れないくらいいるはずです。残念ながら、それが主流になっているとさえ言ってもいいでしょう。

しかし、世界的に見た場合、そういうDJは一線には一人もいません。まったくいません。
当たり前ですよね。誰でもできるんですから。

実際に一線で活躍しているEDM DJのプレイスタイルを見てみてください。ダンス・フェスにまで行く必要はありません。UMFやTomorrowlandのYouTube中継とかで充分です。

彼らは、セットの大半を自分のオリジナル楽曲と、自作のマッシュアップやエディットで構成しています。DJとしてのアイデンティティーは、そこにあるんですね。

だから、僕がやっていることは世界的に見ると「当たり前のこと」なんです。そうやってプロデューサー的視点から個性を出すか、もしくはDMCチャンピオンシップばりのスキルとパフォーマンスで個性を出すか、いずれかが最低限EDM DJには求められていると思います。

EDMが危機に直面している???

ダフト・パンクがRollingStoneのインタビューで「Electronic music right now is in its comfort zone and it’s not moving one inch,」と答えたので、「ダフト・パンクのニューアルバムが出たらEDMは終わりだ」的なことを言う人がいるんですけど、過去にダフト・パンクの新譜が出て、クラブミュージックのトレンドが大きく変わったことはないと記憶しています。なぜならダフト・パンクはダフト・パンクで、孤高の存在だからです。それはアンダーワールドやケミカル・ブラザーズ、プロディジーなんかにも言えますね。彼らはDJカルチャーとは、もはやあまり関係ないんです。

ちなみにダフト・パンクは前出のインタビューで「Skrillex has been successful because he has a recognizable sound」と、スクリレックスを評価する発言をしています。つまり、彼らはアンチEDMじゃないんですよ。その後、スクリレックスみたいな音がたくさん出てきて区別がつかなくなっていることを問題視しているだけなんです。

で、現在のEDMに否定的な発言をしている人には、サシャ、ケミカル・ブラザーズのエド、ファットボーイ・スリム、ディプロ、ウルフギャング・ガートナーとかいますが、どの人も現在のEDMフェスでヘッドライナーを務めるような人ではありません(ケミカル・ブラザーズはロック・フェスのヘッドライナーにはなれますが)。

たとえばゲッタやティエストが「EDMは危機に直面している」と言ったら、僕はそれを重く受けとめますが、シーンのど真ん中にいない人がいろいろ言うのはいかがなものかと思います(勝手ですけどね)。なんか、自分の都合のいい方向に持っていきたいだけに見えちゃうんですよね。

僕はEDMが大好きで、その動きをずーっと見てますけど、ちゃんと今でも毎週進化してますよ。シーンの中にいない人には、それがわからないだけなんだと思います。そもそも、それを判断できるほど聴きこんでないはずですから。

あと、EDMは基本的に「楽しい時間を過ごすための音楽」であって、本来は難しく考えたり論争のネタにするような音楽ではありません。日本の現状みたいに言葉の解釈自体やイメージがデタラメになりつつある場合は、軌道修正したりする必要もありますけど、踊って楽しければそれでいいではありませんか。

UMFに33万人集まったり、EDC Vegasのチケットが売り切れたり、Billboard音楽賞にEDMジャンルが新設されたり、EDMは相変わらず勢いがありますし、シーンには若いアーティストもどんどん参入してきているので、僕はEDMの未来に楽観的です。

EDM、軌道修正が必要

準備期間も含めてここ一年、ageHaさんやEMIさんを始めとする、たくさんの方々と一緒になってEDMの普及活動をしてきた。そのかいあってかどうかはわからないが、EDMは普通名称としてもう一般に認知されている。その証拠に“EDM”をタイトルに挙げたCDもたくさん出ているし、DJのプロフィールやパーティの告知、メディアの記事やライナーノーツにも、この単語は普通に使われるようになった。

もちろん海外では、Electronic Dance Musicという言葉自体は20年前にはすでに存在していたというし、その略称としての“EDM”も数年前から普及していたから、このような状況になることは当然だったと言えよう。

そこで思うのだが、日本では“EDM”の意味が、妙な形で広まりつつある。
ネガティブな意味にも捉えられる記事を書くのは不本意だが、さすがに看過できなくなってきたので、書くことにした。

まず、“EDM”を広義に捉えるのはやめたほうがよい。それをやると、リッチー・ホウティンからマッシヴ・アタックまでEDMになってしまい、単語としてあまり意味をなさなくなる。海外メディアも、大勢はそのような捉え方をしていない。

だから、電気グルーヴやサカナクションを“EDM”とは呼ばないほうがいい。本人達だってそう思っていることだろう。「えっ?俺たちもEDMなの?」と。

次に、「EDM=エレクトロR&B」ではない。日本ではヒップホップDJの多くがEDMをかけるようになっていて、それはそれで歓迎すべきことなのだが、「本当はR&Bが好きなんだけど、流行ってるから一時的にEDMをかけてる」という考えで転向しているのだったら、考え直してもらいたい。それはDJとしての魂を売ることで、セルアウトにつながる。

EDMで重要なのは“エレクトロニック”であることだ。その点ではEDMは、オーガニックなR&Bとは本来相反するものなのだ。だから、David GuettaがR&Bシンガーを起用したとき、みんな新しさを感じたわけで、Guettaがやったことは“エレクトロ・ハウスにR&Bを取り込む”作業だったのだ。つまり“EDM”にとって、R&Bは補助的な要素であって、そこで主客転倒してはいけない。海外の状況を見てもわかるとおり、EDMのトップDJにヒップホップ出身の人は僕の知る限り一人もいない。彼らは、みんなエレクトロ・ハウスやトランスをかけてきた人たちだ。そこにEDMの本質に対する回答がある。

最後に、EDMは「パチモン・カバーCD」のためにあるのではない。今日、某大手レンタルCDショップに行ったら、「EDMといったらコレ!」という感じで、洋楽のEDMカバーCDが強力プッシュされていた。これでは、EDMというジャンルは企画物のためにあるように見えてしまうではないか。。。あるレコード会社の方は、「“EDM=パチモン洋楽CD”というイメージになってしまったら、我々は本物の洋楽でEDMのCDを作る意味がなくなってしまう」と言っていた。商魂たくましいのもいいだろうが、心ある音楽ファンなら(CDショップも含めて)、EDMを表層的な消費物にしてしまう動きには加担しないでほしいと切に思う。