オープンフォーマットDJとは?

日本のEDM DJというと、オールミックス系のDJを思い浮かべる人も多いと思いますが、これは世界的に見るとかなり異例な状況だと思います。海外ではオールミックスのことを“オープンフォーマット”というんだそうですが、仕事柄海外のメディアに毎日目を通しているにも関わらず、僕は実は“オープンフォーマット”という言葉を知りませんでした。おそらくヒップホップ系のワードだからだと思うのですが、少なくともフェスのメインステージに代表されるようなEDMシーンには、“オープンフォーマット”のDJはいないし、“オープンフォーマット”スタイルの有名なEDM系のDJで思い当たる人はいません。Viceあたりがそうなのかもしれませんが、彼もPodcastではEDMオンリーのスタイルです。

DJ Vice – These Are The Breaks: Vice in Vegas

そこでGoogle(US)で“オープンフォーマットDJ”で検索もしてみたのですが、Wikipediaにも載っていないし、めぼしい記事はほとんど出てきませんでした。そんな中、唯一ちゃんと解説してくれている投稿がありました。それはPJ Villaflor(Pri yon Joni)という、毎週US全土でプレイしているミックス・アーティスト(彼は自分を“DJ”とは呼びません)のもので、タイトルが「オープンフォーマットDJ vs アーティストDJ」。論点は「オープンフォーマットDJはワールドクラスのアーティストDJになれるか?」というものでした。以下ちょっと解説入りで要約しますね。

まず「オープンフォーマットDJ vs アーティストDJ」という構図は「ウェディングDJ vs クラブDJ」とパラレルであるということです。“ウェディングDJ”といってもピンとこないと思いますが、海外には“モバイルDJ”という職種がありまして、これはWikipediaにもちゃんと載っているのですが、自前の機材を持って、結婚式やバーや会社や学校のパーティ、誕生日パーティ、ときにはクラブに出向いてプレイするものです。彼らの仕事は、「お客さんを喜ばせること」で、それはスキルを必要とする、多様性という意味ではもっともクリエイティブなスタイルであると同時に、「サービス業」と見なせるとPJは言っています。学パーのような、クラブに行きなれていない人たちが集まるところには、まさにピッタリだということです。

一方で“アーティストDJ”は、(たとえばEDM DJなら)いつもEDM一直線で、DJスキルはベーシック、なぜなら彼らのクリエイティヴィティは自分の曲の制作に注がれているからです。補足すると“クラブDJ”も基本的には自分の曲を交えながらワンジャンル中心にプレイします。

オープンフォーマットDJとアーティストDJの本当の違いは、オープンフォーマットDJは、スーパースターがつくったヒット曲とDJスキルを使ってヴァイブスをつくるのに対し、アーティストDJは自分の曲でヴァイブスをつくり、それゆえ彼らがスーパースターになりえるということです。“オープンフォーマットDJ”のテーマは「どうプレイするか」で、アーティストDJのテーマは「何をプレイするか」です。

ここで彼は“オープンフォーマットDJ”の象徴として、故DJ AMを挙げて、彼はArmin Van Buurenになりえるか?という話をしているのですが、オープンフォーマットDJ とアーティストDJは「基本的に別物」だが不可能ではないと思うとしています。ただし、それにはひとつのジャンルに絞って自分の音楽をつくりはじめなくてはいけないし、音楽的アイデンティティを持つべきで、オープンフォーマットの領域で自分を見失ってはいけないとしています。

最後に彼は「ジャンルがなんであれ、心から自分が愛するものを自分の言葉のようにプレイしているDJのプレイは楽しめるし、それはただみんなのためにプレイしているDJとは違う。古くからの名言に“みんなを楽しませようとしたら、誰も楽しませることはできない”ってあるじゃないか」と締めくくっています。

そこで、僕はこのPJさんとメッセージのやりとりをして、実際のところ“オープンフォーマットDJ”とは何か確認してみました。

まずオープンフォーマットDJと、みんながEDM DJで思い浮かべるようなアーティストDJ(ハードウェルとかゼッドとかアヴィーチーとか、ほぼ全員)は別職種です。どっちがいいとか悪いじゃなくて、同じ「DJ」という言葉になっていますが、別の仕事なんです。前者の主な仕事は「存在している曲」をプレイすることで、後者の仕事は「自分の曲」をプレイすることです。

典型的な“オープンフォーマットDJ”は、「結婚式のDJのライブラリーを、ヒップホップのスキルでプレイするようなもの」だそうです。

平均的なバーやクラブでは、単純に来ているお客さんの多くを喜ばせる人が必要なので、“オープンフォーマットDJ”は仕事を得やすいけれど、彼らの名前や音楽性目当てで来てくれるお客さんはほとんどいない。一方でアーティストDJは、初期段階ではまったくギグも収入もないが、将来的にスタジアムを埋める存在になる可能性がある。

フェスや音楽イベントに“オープンフォーマットDJ”はほとんど求められていないが、彼らにはクラブミュージックの枠を超える自由さがある。

というわけで、“オープンフォーマット(オールミックス)DJ”と“アーティストDJ/EDM DJ”は別職種であることがはっきりわかります。前者は「お客さんを喜ばせること」が目的で「サービス業」、「どうプレイするか」がテーマです。そういう意味では、日本で言う「ディスコDJ」に近いかもしれません。後者は、「自分の曲をプレイする」ことがテーマですから、プレイ自体はミニコンサートのようなものです。それが結果的に「ファンを喜ばせること」につながります。好例はマーティン・ギャリックスで、彼のセットはほとんどが自分の曲です。他のEDM DJも、かなりの部分がオリジナル曲、もしくは自分のレーベルの曲で、例外はないとさえ言えます。そういう意味では、“EDM DJ”あるいはフェスのメインステージでプレイするようなDJを目標にするのなら、まずはオリジナル曲をつくることから始めるのが正解かもしれませんね。

EDMの次はトランス再び?

NWYR @ Ultra Music Festival Miami 2017

edm.comにおもしろい記事が出てました。簡単に言ってしまうと、トランスが再注目されてる中、EDMに転向していたSander Van DoornやW&W、Artyなどが別名義でトランスに戻り始めているのは金のためか?って話ですね。
http://edm.com/articles/2017/5/2/edm-djs-are-returning-to-trance

John O’Callaghanは「正直なところ、DJがどれだけ金が欲しかったかって話でしょ。コマーシャルな音楽をプレイして、より金を稼ぎたかったから、そうしたんだ。財布に突き動かされてるなら、そうするでしょ。でも、トランスに突き動かされているなら、自分の愛するところにとどまるよ」って言ってて、アーミンもそれに同意してます。

が、僕はこれは必ずしもそうではないと思うわけです。EDMムーブメントは、ダンスミュージック史上最大のものだったわけで、それは現在も続いています。このエキサイティングなムーブメントや新鮮な音、新しいアーティストとやっていきたいと思うアーティストもたくさんいるわけです、金銭以前の問題として。ティエストがその代表格ですね。

純粋主義者というのは、どこの世界にもいて、彼らがシーンのベースを築いているのですから尊重するのは当たり前なのですが、一方でトレンドセッターやテイストメーカーという人種もいるわけで、こちらがいなければシーンに新しいムーブメントは起きません。

で、本題に戻ると、EDMアーティストがトランスに戻ったとして、そこにEDMで得た新しいエッセンスが加えられているなら、音楽的にはおもしろいことになると思うわけです。シーンが硬直化したら、それは衰退していくだけなので、柔軟に楽しむべきで、結果的にトランスDJがダンス・フェスのメインステージにたくさん帰ってきたら、トランス・ファンだって嬉しいのではないでしょうか。

個人的には、次の大きなムーブメントがトランス・ルネサンスだとは僕は思わないのですが、トランスがここからUSを中心に一段進化する可能性はあるんだろうなと思ってみています。

The Chainsmokers『メモリーズ…ドゥー・ノット・オープン』はEDMなのか?

The Chainsmokersのデビューアルバム、とってもいいです。
なぜかYourEDMは、編集長自ら乗り出して叩きまくっていますが、何を期待してたかによって評価は分かれるものですよね。

昨年Tomorrowland Radioのスタジオでインタビューしたとき、Alexが「アメリカのシーンでは、トラップやダブステップが人気だけど、ヨーロッパのフェスではそうじゃないよね。長い間、ビッグルームを128BPMでプレイしてきたDJが、たくさんいる。それはそれで素晴らしいし、楽しいけど、僕らにはある意味、やりつくしたことかな」って言ってたのを思い出しました。
Tomorrowland Radioでのインタビュー

で、日本盤のライナー読んだら新谷洋子さんが「いろんな読み方が可能なんだろうが、第一に、ポストEDM時代の到来を告げているのだろうと思う。当初は一過性の流行と見做されていたものが、いつしか日常的な風景の一部と化して、どんどん枝分かれし、突然変異して、DNAを共有しながら全く新しい形に姿を変える。そして生まれたのが、ザ・チェインスモーカーズ流のポップ・ミュージック。“躍らせる”或いは“アゲる”というEDMの主要なモチベーションを排除して、でもEDM世代の言語でストーリーとエモーションを伝える、ポップミュージックだ」って書いていて、鋭い指摘だなと思いました。

彼らがEDMヒストリーから生まれたアーティストなのは間違いないですが、ポストEDMが、こうしたEDM発のポップであり、それはまた結局EDMの発展系でもあるということですね。

まあ、音楽を楽しむ上で、それは知らなくてもいいことではありますが、The Chainsmokersのこのアルバムは、「さあパーティだ!踊れ!」とは真逆の方向性を持っていながらEDM的でもある素晴らしい作品なのです。そして思い出や人間関係にフォーカスした、コンセプト・アルバム的作品でもあるのです。

Oliver Heldensが「Something Just Like This」に対して、この二組ならもっといい作品ができたはずだって言ってましたが、僕にはこの曲は充分すぎるくらい良いです。「Roses」に似てるとか、どうでもよくて笑、この曲には最近のColdplay特有の、聴けば聴くほどよくなっていく感じと、素晴らしい歌詞があります。そう、「歌詞」や「感情」や「場面」があるんですよね。「踊れ!踊れ!」の単機能性は強力であると同時に、多くの人がEDMを「薄っぺらい」とする根拠にもなっているのですが、The Chainsmokersは、そこにも回答を示していると思ったのでした。

The Chainsmokersが各曲にこめた思いは、彼ら本人の言葉でご確認ください 🙂
『MEMORIES…DO NOT OPEN』The Chainsmokers コメント和訳