これはナシだよなぁ、とか、なんじゃこりゃ?サイテーの音楽だな、と思ったら気をつけたほうがよい。そういうものは、ものすごいものになったりする。
ハウスを最初聴いたとき、スゲー!サイコーって思った人は、はたしてどれだけいるだろう?
ちなみに僕は「わけわかんねー」と思った。
優れた演奏能力とか、凝りに凝った作曲とか、そういう音楽的に優等生なポイントから未来を変える音楽は生まれない。
だから、僕は「わけわかんねー」音楽が好きだ。ハウスやレイヴ・ミュージックは、間違いなくそういう音楽だった。
これはナシだよなぁ、とか、なんじゃこりゃ?サイテーの音楽だな、と思ったら気をつけたほうがよい。そういうものは、ものすごいものになったりする。
ハウスを最初聴いたとき、スゲー!サイコーって思った人は、はたしてどれだけいるだろう?
ちなみに僕は「わけわかんねー」と思った。
優れた演奏能力とか、凝りに凝った作曲とか、そういう音楽的に優等生なポイントから未来を変える音楽は生まれない。
だから、僕は「わけわかんねー」音楽が好きだ。ハウスやレイヴ・ミュージックは、間違いなくそういう音楽だった。
音楽を楽しむ上で、無視してよいもの。それはアーティストのゴシップ。
音楽の本質とまったく関係のない、このどうでもよい話は、伝言ゲームのように世界を駆け巡る。
そこから生まれる先入観をもって音楽を聴くのは、僕の好みじゃない。
せっかく音楽は目に見えない形になっているのだから、現実界の些細な出来事とからめて聴くべきではないのだ。
ちょっと独り言でした。
ベースが動きまくるような、ハウスビートのトラックは、はたしてハウスと呼べるのでしょうか???
個人的にハウスの音楽的本質はミニマルなグルーヴ感にあると思っているので、それがない“ハウスと呼ばれている楽曲”には、ちょっと違和感を感じてしまいます。
まあ、そんなことどうでもよいんですけどね。イタリアン・レストランで頼んだパスタの麺が、よく見たらうどんだったとして、それがウマければよいので。クロスオーヴァーとかJがつくものに、そういう作品が多いような気がします。