第55回グラミー賞ノミネート

第55回グラミー賞の候補者が発表された。EDM勢はここでも強い。一部を転載してみよう。

Best Dance Recording
Levels/Avicii
Let’s Go/Calvin Harris Featuring Ne-Yo
Bangarang/Skrillex Featuring Sirah
Don’t You Worry Child/Swedish House Mafia Featuring John Martin
I Can’t Live Without You/Al Walser

Best Dance/Electronica Album
Wonderland/Steve Aoki
Don’t Think/The Chemical Brothers
>Album Title Goes Here </Deadmau5
Fire & Ice/Kaskade
Bangarang/Skrillex

Best Remixed Recording, Non-Classical
In My Mind (Axwell Remix)
Lie Down In Darkness (Photek Remix)
Midnight City (Eric Prydz Private Remix)
Promises (Skrillex & Nero Remix)
The Veldt (Tommy Trash Remix)

天下のグラミーも、EDM万歳なのだ。
日本ではまだ“EDMって本当に人気なのか?”と思っている人さえいるのだが、昨年のSkrillex3部門受賞以来、それは愚問だということが証明されている。

僕のDJキャリア(本人が忘れないうちに書きました)

僕がDJをどうやって始めたのかというご質問をTwitterでいただきましたので、時系列で書いておきますね。年は、アバウトです。最近僕のことを知った人は、僕があまりにベテランwなので、驚くかもしれません。僕は今のところwwwトップDJではありませんし、プライベートな話なので、興味ない人はトバしてください。

’86年 大学生の頃、ストリート雑誌だった頃の宝島でDJのことを知る。曲をつなげられるということが面白いと思ったのと、バイトには恵まれていたので、楽器屋さんに行き、Technics SL1200 Mk2(ターンテーブル)とVesta Fire DSM-310B(ミキサー)を買う。お決まりのスクラッチの練習をするも全然できず。自分はニューウェイヴ好きだったので、ヒップホップを無理にやることもないかと思う。

’87年 友達の紹介で、赤坂のバーでDJバトルみたいなものに出演する。手持ちのレコードをかけたので、ラウンジ・リザーズにデペッシュ・モードとか、まったくデタラメなDJだったが、初めてギャラを5000円もらった。この頃、ハウスが登場したので、ハウスのレコードを買い始める。

’88年 ファッションが好きだったのでパルコに就職。札幌勤務に。

’89年 富家さんの成功に触発されて、ハウス制作を開始。音楽経験はDJ以外まったくなし。

’90年 日本にはハウス・レーベルが無かったので、すでにシーンが盛り上がっていたUKのレーベルにデモテープを送る。10社ぐらいに送って、そのうちの1社、HOOJ CHOONS(Viceroy Records)から国際電話で「出したい」という返事をもらい、舞い上がる。それでリリースされたのがデビュー曲の「Past,Present & Future」(今聴くと、あまりの稚拙さに赤面w)。たぶん日本人の楽曲で、UKのレーベルからライセンス以外でリリースされたハウスは、これが最初か二番目くらいだったと思う。というわけで、UKのシーンと、日本人としては珍しく交流を持つことになる。

’92年 UKとのコネクションがあったので、ハウスを扱っていた音楽雑誌のremixに転職。日本のクラブシーンと接点ができる。そこから、当時数少ないオーガナイザーだったチームと、remixの社長と、渋谷のパブを夜借りて、パーティを始め、ちゃんとした?DJを開始。remix nightでは、渋谷や下北沢の小箱で前座もやらせてもらう。僕が編集者上がりのDJだと誤解されているケースがあるけれど、それはこういういきさつから生じている。DJを本格的に始めたきっかけは、あくまでUKからトラックをリリースしたことで、編集者として興味を持ったからでは全くない。

’93年 著名な写真家でオーガナイザーでもあるクボケンのClub VenusレジデントDJになる。二人ともUKのバレアリックなクラブ・シーンを日本に持ってきたいと思っていたことから、意気投合した。ポール・オークンフォルド、アルフレドといったバレアリックの神様からカール・コックス、リッチー・ホーティン、ジェフ・ミルズ、デリック・メイなどテクノ勢まで、トップDJのウォームアップをずーっとやっていた。同時期、マニアック・ラブの開店時に、フランキー・バレンタインとレギュラーを持っていたが、集客できず、すぐにクビになるw(たぶんマニアック・ラブのスタッフでも、このことを知っている人は少ないw)。

’95年 外国人DJのウォームアップばかりやっていても国内のシーンは育たないと思い、Venus時代からの相方Yo-Cと、当時としては数少ない大箱だったリキッドルームの山根さんにかけあって、X-traを始めてもらう。理解してくれた山根さんに感謝。X-traは5年弱続き、1000人クラスのパーティに成長。大阪、金沢でもレギュラー開催されるようになる。音楽制作も活発に行っていて、’98年には「リング」の主題化がオリコン・ヒットに。ここが今のところ、僕のDJキャリアのピークかな。

’01年 ’90年代中盤からトランスに傾倒していたので、トランス・パーティーを、ルネス(今のWarehouse 702)やコアで始める。コズミック・ゲイト、ランジといったトランスDJやイビサのDJを招聘したりもして、500人規模までいく。トランスのCDも多数コンパイル&ミックスする。

’03年 個人的な興味がトランスから離れ、パーティをやるモチベーションが無くなる。

’05年 マッシュアップにハマり、日本には無かったマッシュアップのパーティを一度やってみるが惨敗。DJは完全休止状態に。個人的興味はエレクトロに移行。

’09年 ありがたいことに大沢伸一さんから、お声をかけていただき、音楽制作を再開する。

’10年 LDKレーベルの設立に伴い、DJも再開。この頃からAfrojackやTiesto & Diplo、Swedish House Mafia、deadmau5をきっかけにEDMにハマり始める。

’12年 世界的にEDMが盛り上がっているのに、日本のクラブシーンが乖離していることに疑問を感じ、ageHaのコウちゃんに話してみたところ、偶然彼もEDM好きだということが分かり、ageHaさん主催でEDM Statesが始まる。コウちゃんに感謝。ほぼ10年ぶりにレギュラーDJに復帰。

というわけで、僕は2000年代中盤、DJや音楽制作をほぼ休んでいたので、今は新人のような気持ちです。EDM Statesを大事に育てていきたいと思っています。

EDM DJになるには?

 僕のサイトのCONTACTコーナーや、Twitterから、「僕もEDMのDJをしています。こんなプレイをしています。僕をブッキングしてください!」というメールをよくいただくのですが、ちょっと説明が必要なので、記事を書くことにしました。

 まず、根本的な話ですが、僕もDJであって、オーガナイザー/プロモーターではないので、誰かをブッキングする立場にはありません。僕も雇われる側なんです。あしからず。

 では、プロのDJになりたい場合は、どうやったらいいのか?

 まず、友達をたくさん集めて、小さなスペースで、自分がオーガナイザーになってパーティを始めることです。僕も最初は、渋谷のバーを借りてパーティを始めました。友達以外の人なんて、どんなに宣伝したとしても、ほとんど来てくれませんから、5人とか10人の前でプレイすることになります。もちろん毎回大赤字です。この辺は、バンドがライブハウスを借りて、チケットを友達に手売りで売って最初のライブをやるのにそっくりです。

 次に、そういうことをやってがんばっているということと、どんなプレイをしているかが分かるようなプロフィールを作って、小さなバーやクラブにアプローチしてみてください。うまくいけば、そのクラブでパーティができるようになるかもしれません。その際、相手のクラブのことをちゃんと研究してから行ってくださいね。それは礼儀です。

 それで集客ができるようになったら、今度は「自分はこれだけ集客できる」ということをプロフに加えて、少しづつ大きなクラブにアプローチしていってください。この段階になると、僕のような、ブッキングする立場に無い人にアプローチしても、誰かコネクションを紹介してくれることさえあります。

 これだけです。

 アプローチ先は、基本的にはクラブのブッキング担当ですが、今はクラブのパーティも外部のオーガナイザー/プロモーターが仕切っていることが多いので、そういうところにアピールしてみてもよいでしょう。

 難しいですか?

 はい、難しいです。iFlyerさんのアーティスト登録者は1万人いるといいますから、かなりの難関と言ってもよいでしょう。しかも、DJをやりたい芸能人とかモデルとかは、最初から集客力があるので、スキルや経験が無くても優先的にブッキングされます。そういう状況が良いとはまったく思いませんが、DJにもショウビズの側面はあるので、やむをえません。

 では、ショートカットはないのか?

 あります。

 自分でトラックを作って、それをリリースし、beatportなどのチャートに食い込ませることです。先日のbanvoxのケースは好例でしょう。そうやって話題になれば、「DJはできないか?ライブはできないか?リミックスはできないか?」というオファーが来るようになります。

 もっとも、そこまで完成度の高いトラックを作れるようになるには、普通だと何年もかかりますし、才能も必要ですから、これは簡単な近道ではありません。

 どっちのコースを選ぶかは、性格によると思います。友達100人作れるような外向的な人には前者、芸術家タイプの人には後者が向いています。最近のEDM DJには、圧倒的に後者が多いですね。

 次に、EDM DJの特徴を書きますね。EDM DJは、テクノやハウスのDJとは、まったくスタイルが違います。

 まず、かける曲の6〜7割位は自分が手を加えた曲です。オリジナルが多ければ多いほどよく、それはゲッタやカルヴィン・ハリスのDJを見れば分かります。といっても、ほとんどの人はオリジナル曲を大量に持っていたりはしませんから、リミックス作品や、マッシュアップをかけることになります。つまり、beatportで買った曲を、そのままつないでも、EDMのDJとしては半人前にしかならないということです。かといって、他人が作ったマッシュアップをたくさんかけても、それは自分の個性にはなりませんから、あまり意味がありません。

 要するに、最低でも自分でマッシュアップが作れる程度のDAWスキルは必要なのです。これが、EDM DJにトラック制作から有名になる人が多い理由です。

 次に、クラウドとコミュニケーションを取る力が必要です。ゲッタのように自分でガンガンMCをする人もいれば、専属のMCを抱えている人、はてはマーティン・ソルヴェグみたいに歌っちゃう人までいます。デッドマウスの被り物も、コミュニケーションの一種と言えるでしょう。下を向いて、淡々と曲をつないでいてはいけないのです。アヴィーチーとか例外もありますが、彼の場合は、曲が圧倒的にいいですからね。かけるのは、ほとんど自分関連の曲ですし。

 そんなわけで、EDMは楽しい音楽ですが、本格的なEDM DJになる道のりは楽ではありません。僕もまだまだ勉強中です。オススメは、EDMの有名なDJがプレイしているところをYouTubeとかで見ることです。彼らのセットリストも参考になります。

 簡単に言ってしまえば、「EDM DJ=自分が手を加えた曲を、コンサートのように披露すること」なんです。だから、ギャラがあんなに高いんですよw

 最後に、EDMをやるなら、EDMに専念することをオススメします。例えば、今までやってきたソウルフル・ハウスのDJと並行して変名でやるとか、サイドプロジェクト的にやるのは、どうかと思います。だって、世界的に見たらEDMはメインストリームなんですよ。ティエストでさえ、今までやってきたユーロトランスを封印してEDMをやってるじゃありませんか。EDMは、それだけ魅力のある音楽なんです。