EDMと旧世代

MIXMAGによると、The Chemical BrothersのEd SimonsがSwedish House Mafiaをナンセンスだと批評し、インテリジェント・ダンス・ミュージックは殺されようとしていると述べたそうだ。同様にSashaは、ほとんどのEDMはくだらないやつがくだらないやつのためにつくっているとツイートしている。

MIXMAGは、こういう記事を載せることによってEDMディベートを扇動しているのだが、彼らは’90年代にダンス・ミュージック・シーンの覇権国家だったUKの媒体なので、その立ち位置は明確だ。とはいえ、現状でEDMを無視することは自殺行為なので、ディベートに持ち込んだり、たまにEDMアーティストの人気ぶりを記事にしたりしている。

UKには、ほかにTop100 DJsでおなじみのDJ magがあるが、こちらも媒体自体は旧来のハウス/テクノ・アーティストをメインに扱っている。人気投票で、どんなにEDMアーティストがニューエントリーしてきたり、飛躍的に順位を上げてきても、それは変わらない。

かくして、UKはEDMシーンにおいてはガラパゴス化してしまったように見える。

Underworld、The Chemical Brothers、The Prodigyといったビッグ・ダンス・アクトを輩出してきた、かの国は、今や世界のダンス・シーンで、ギグにおける最も重要な国となりつつあるアメリカに進出できなくなっている。Calvin Harrisが一人EDMシーンで孤軍奮闘している感さえある。

僕は’90年代を通して、生粋のUK派だったし、The Chemical BrothersやSashaをとてもリスペクトしていた(今もリスペクトしている)。その根底にはバレアリック・シーンのオープン・マインドという概念があった。

彼らは、それを忘れてしまったのだろうか?

キャリアを積んだアーティストから見れば、若者が主導するEDMシーンは稚拙なものに見えるかもしれない。しかし、それを「くだらない」と言ってしまうことこそ、ナンセンスだと僕は思う。そこには新しい世代の、新しい音楽があるのだから。

考えるに、ディスコからハウスが生まれ、シーンがハウス化していく過程で、ディスコ・クラシックのファンは、ハウスを「くだらない音楽」と考えていたことだろう。

このように、パラダイムシフトが起きるとき、旧世代は新しく生まれてきたものを認めない傾向にある。僕は、ハウス発祥のころから、ずっとダンス・シーンを見てきたので思うのだが、今EDM主導で起きていることは、ダンス・ミュージック・シーンにおける新たなパラダイム・シフトだ。

そのときは、かなりの割合で選手交代が起きるのだが、これはすでに起きている。10代や20代前半の才能あるクリエイターが続々登場しているではないか。そのとき、旧世代がすべきことは、若者たちをサポートし、ダンス・ミュージック文化が発展していく手助けをすることだ。あるいは、自分もその枠に入り、一緒になってシーンを盛り上げていくことだ。あるいは、それとは一線を画し、黙々と我が道を行くことだ。実際にそうしているアーティストは多い。

大事なことは、ダンス・カルチャーはユース・カルチャーであるということだ。それを創り上げるのは、主に若者たちなのだから、旧世代が流れをコントロールしようとしてはいけない。横槍を入れず、自分たちの残した偉大な功績を誇りに思って活動してほしいと、旧世代のビッグ・アーティストたちには思う。

第55回グラミー賞ノミネート

第55回グラミー賞の候補者が発表された。EDM勢はここでも強い。一部を転載してみよう。

Best Dance Recording
Levels/Avicii
Let’s Go/Calvin Harris Featuring Ne-Yo
Bangarang/Skrillex Featuring Sirah
Don’t You Worry Child/Swedish House Mafia Featuring John Martin
I Can’t Live Without You/Al Walser

Best Dance/Electronica Album
Wonderland/Steve Aoki
Don’t Think/The Chemical Brothers
>Album Title Goes Here </Deadmau5
Fire & Ice/Kaskade
Bangarang/Skrillex

Best Remixed Recording, Non-Classical
In My Mind (Axwell Remix)
Lie Down In Darkness (Photek Remix)
Midnight City (Eric Prydz Private Remix)
Promises (Skrillex & Nero Remix)
The Veldt (Tommy Trash Remix)

天下のグラミーも、EDM万歳なのだ。
日本ではまだ“EDMって本当に人気なのか?”と思っている人さえいるのだが、昨年のSkrillex3部門受賞以来、それは愚問だということが証明されている。

僕のDJキャリア(本人が忘れないうちに書きました)

僕がDJをどうやって始めたのかというご質問をTwitterでいただきましたので、時系列で書いておきますね。年は、アバウトです。最近僕のことを知った人は、僕があまりにベテランwなので、驚くかもしれません。僕は今のところwwwトップDJではありませんし、プライベートな話なので、興味ない人はトバしてください。

’86年 大学生の頃、ストリート雑誌だった頃の宝島でDJのことを知る。曲をつなげられるということが面白いと思ったのと、バイトには恵まれていたので、楽器屋さんに行き、Technics SL1200 Mk2(ターンテーブル)とVesta Fire DSM-310B(ミキサー)を買う。お決まりのスクラッチの練習をするも全然できず。自分はニューウェイヴ好きだったので、ヒップホップを無理にやることもないかと思う。

’87年 友達の紹介で、赤坂のバーでDJバトルみたいなものに出演する。手持ちのレコードをかけたので、ラウンジ・リザーズにデペッシュ・モードとか、まったくデタラメなDJだったが、初めてギャラを5000円もらった。この頃、ハウスが登場したので、ハウスのレコードを買い始める。

’88年 ファッションが好きだったのでパルコに就職。札幌勤務に。

’89年 富家さんの成功に触発されて、ハウス制作を開始。音楽経験はDJ以外まったくなし。

’90年 日本にはハウス・レーベルが無かったので、すでにシーンが盛り上がっていたUKのレーベルにデモテープを送る。10社ぐらいに送って、そのうちの1社、HOOJ CHOONS(Viceroy Records)から国際電話で「出したい」という返事をもらい、舞い上がる。それでリリースされたのがデビュー曲の「Past,Present & Future」(今聴くと、あまりの稚拙さに赤面w)。たぶん日本人の楽曲で、UKのレーベルからライセンス以外でリリースされたハウスは、これが最初か二番目くらいだったと思う。というわけで、UKのシーンと、日本人としては珍しく交流を持つことになる。

’92年 UKとのコネクションがあったので、ハウスを扱っていた音楽雑誌のremixに転職。日本のクラブシーンと接点ができる。そこから、当時数少ないオーガナイザーだったチームと、remixの社長と、渋谷のパブを夜借りて、パーティを始め、ちゃんとした?DJを開始。remix nightでは、渋谷や下北沢の小箱で前座もやらせてもらう。僕が編集者上がりのDJだと誤解されているケースがあるけれど、それはこういういきさつから生じている。DJを本格的に始めたきっかけは、あくまでUKからトラックをリリースしたことで、編集者として興味を持ったからでは全くない。

’93年 著名な写真家でオーガナイザーでもあるクボケンのClub VenusレジデントDJになる。二人ともUKのバレアリックなクラブ・シーンを日本に持ってきたいと思っていたことから、意気投合した。ポール・オークンフォルド、アルフレドといったバレアリックの神様からカール・コックス、リッチー・ホーティン、ジェフ・ミルズ、デリック・メイなどテクノ勢まで、トップDJのウォームアップをずーっとやっていた。同時期、マニアック・ラブの開店時に、フランキー・バレンタインとレギュラーを持っていたが、集客できず、すぐにクビになるw(たぶんマニアック・ラブのスタッフでも、このことを知っている人は少ないw)。

’95年 外国人DJのウォームアップばかりやっていても国内のシーンは育たないと思い、Venus時代からの相方Yo-Cと、当時としては数少ない大箱だったリキッドルームの山根さんにかけあって、X-traを始めてもらう。理解してくれた山根さんに感謝。X-traは5年弱続き、1000人クラスのパーティに成長。大阪、金沢でもレギュラー開催されるようになる。音楽制作も活発に行っていて、’98年には「リング」の主題化がオリコン・ヒットに。ここが今のところ、僕のDJキャリアのピークかな。

’01年 ’90年代中盤からトランスに傾倒していたので、トランス・パーティーを、ルネス(今のWarehouse 702)やコアで始める。コズミック・ゲイト、ランジといったトランスDJやイビサのDJを招聘したりもして、500人規模までいく。トランスのCDも多数コンパイル&ミックスする。

’03年 個人的な興味がトランスから離れ、パーティをやるモチベーションが無くなる。

’05年 マッシュアップにハマり、日本には無かったマッシュアップのパーティを一度やってみるが惨敗。DJは完全休止状態に。個人的興味はエレクトロに移行。

’09年 ありがたいことに大沢伸一さんから、お声をかけていただき、音楽制作を再開する。

’10年 LDKレーベルの設立に伴い、DJも再開。この頃からAfrojackやTiesto & Diplo、Swedish House Mafia、deadmau5をきっかけにEDMにハマり始める。

’12年 世界的にEDMが盛り上がっているのに、日本のクラブシーンが乖離していることに疑問を感じ、ageHaのコウちゃんに話してみたところ、偶然彼もEDM好きだということが分かり、ageHaさん主催でEDM Statesが始まる。コウちゃんに感謝。ほぼ10年ぶりにレギュラーDJに復帰。

というわけで、僕は2000年代中盤、DJや音楽制作をほぼ休んでいたので、今は新人のような気持ちです。EDM Statesを大事に育てていきたいと思っています。