X-traに、ご来場いただいた皆様、まことにありがとうございました。

 5月21日の土曜日、10年ぶりのX-traがLIQUID LOFTで行われました。これは、8/1に予定されている、LOUDの200号発刊を記念して、LOUDが深く関わったパーティーを一晩だけ復活させようという試みだったのですが、たくさんの方々に集まっていただけました。皆様、本当にありがとうございました。

 開催企画段階では、オーガナイザーの雨宮君と僕は“100-150人くらい集まってくれれば嬉しいね”と言い合っていました。ところが、ふたを開けてみれば、その3倍の入り。こんなにもたくさんの人が、まだX-traのことを覚えていて、足を運んでくれたことが、とてつもなく嬉しかったです。DJの方々や業界関係の方々にも、たくさんお会いできて、時間はあっという間に過ぎていきました。

 何より感動したのは、フロアのノリが当時のままだったことです。DJやパフォーマーとクラウド、そしてVJやPAのスタッフまでが一緒になって創り上げる、あの頃のバイブスが、そこには再現されていました。

 「またやって欲しい」というご意見も、ありがたいことに数多くいただきました。僕にとってX-traは、あまりにも特別な思い出になっているので、今後のことは即答できないのですが、X-traが年一度開催でBody&SOULのような存在になれたら美しいのかなという気持ちにはなりました。’90年代のクラブ・ミュージックにしかなかったグルーヴと情感を、一種のレア・グルーヴやダンス・クラシックとして次の世代に伝えていくこと、そこに生まれるヴァイブスを絶やさないことは、意義あることかもしれないと、今は考えています。

 何はともあれ、2011年のX-traは最高のパーティーになったと感じています。それは、集まってくれた皆様のおかげでした。この場を借りて、感謝の気持ちを示させていただきます。

Alexander McQueen

 僕は20歳前後の頃、とてもファッションが好きだった。特にUKのデザイナーが好きだったので、ロンドンに行くと、昼は買い物、夜はライブ/クラブで、大忙しだった。

 ファッションと音楽が好きだったので、就職はそれに関連したものを探し、うまく某ファッション・ビルに就職することができた。

 それほど僕はファッションが好きだった。

 しかし、就職して業界の現実を見てしまってからは、急速に関心を失い、今に至っている。

 そんな僕にも、好きなデザイナーはいまだにいる。その一人が、Alexander McQueenブランドのLee McQueenだった。それだけに、彼が次の世界へ旅立ってしまったことには、悲しみを隠せない。

 素晴らしき才能ある者が、この世を早く去りがちなのは、なぜなのだろう?
 創造とは、かくも危険な行為なのだろうか?

 そんなことを、考えてしまった。

エレクトロとテクノ

’90年代、四つ打ちの音楽は全部“テクノ”と勘違いされている時期があった。その頃、僕はUKのハウスにハマっていたし、むしろトランス的な音を創っていたのだが、“テクノ”に分類されて、説明に困ることが多々あった。Xtra(Yo-Cと僕が、新宿リキッドルームでレジデントDJをしていたパーティー)にNHKの取材が来て、「KEN ISHIIさんをどう思いますか?」みたいな質問を延々とされて、「いや、僕らがやっているのはUKのハウス・クラブやゲイ・クラブの日本版であって、テクノじゃないんです。クラフトワークじゃないんです。もっと快楽主義的なものなんです」なんてやりとりになってしまったことさえあった。

朝日新聞が、Fatboy Slimを“テクノ”と紹介していたのも覚えている。

その痕跡は、今でも日本版Wikipediaなどで見ることができる。ビッグビート系のアーティストまでテクノ扱いしているのは、ジャンル分けに正解などないにしても、訂正が必要だと思う。

今は、その“テクノ”役を“エレクトロ”が引き受けている。シンセが入っていれば、“エレクトロ”と呼ばれてしまうのだ。

僕は“テクノ”と“エレクトロ”の間には、意外に大きな溝があると思っている。
それは、メンタリティーの違いから発生する。

シンセを使いながらも、むしろ有機的な存在である“エレクトロ”が、USでB−MOREや、ヒップ・ホップと融合してエレクトロ・ホップになったのは、その流れで考えると自然なことだ。

最近のエレクトロが、ノイズの組み合わせというパンク的な方向や、オーガニックなリズムを志向するのも、おかしなことではない。

“テクノ”と“エレクトロ”は近くて遠い位置関係にある。それが面白い。