’93年に『モンド・グロッソ』でアルバム・デビューを果たして以来、トップ・クリエイター、プロデューサー、そしてDJとして活躍する大沢伸一。その卓越した音楽性で、常に時代をリードしてきた実力者だ。近年は、エレクトロを独自に解釈したサウンドで、新たなファン層を獲得。本名名義で発表した『The One』(’07)、『TEPPAN-YAKI (A Collection of Remixes)』(’09)は、英Southern Fried Redordsや、米Dim Makを通じで海外でもリリースされるなどして、国際的にも高い評価を獲得している。
そんな彼が、CD+DVDの2枚組最新オリジナル・アルバム『SO2』を6月30日にリリースする(デジタル配信は、楽曲音源のみで6月16日リリース)。Southern Fried Redordsサイドからのリクエストで制作をスタートさせた、海外リリース対応の注目作だ。その内容は、「LOVE WILL GUIDE YOU feat. TOMMIE SUNSHINE」「ZINGARO」「TECHNODLUV」「SINGAPORE SWING feat. PAUL CHAMBERS」など、かつて耳にしたことのない、全く新しいダンス・トラックが詰まったもの。様々なジャンルの映像クリエイターが手がけた、各曲のミュージック・ビデオと共に、唯一無二の音楽世界が展開されている点も注目だろう。
既存のジャンルや枠組みでは形容できない、衝撃的な音楽を楽しめる『SO2』。その内容について、大沢伸一に対面で話を聞いた。なお、本作の日本盤(ボーナストラック2曲収録)は、大沢伸一本人による楽曲解説ライナーノーツが付いたものとなっている。また、日本盤のDELUXE EDITION(初回限定盤)は、大沢伸一と上村真俊によるDJユニット、OFF THE ROCKERによるミックスCDが付いた、3枚組仕様となっている。
ーー本作『SO2』は、そもそもどういう主旨で制作が開始されたアルバムだったんですか?
「『The One』(’07)をリリースしたあと、Southern Friedから“オリジナル・アルバムをもう一枚やらない?”という打診があって、そこから始まったものでしたね。『The One』がSouthern Friedから出たのは、日本盤が出た2年後、’09年のことだったんで、次は同時進行でやりたいねってことになりました。で、基本的に“SHINICHI OSAWA”という名義は、エレクトロ以降の自分のDJスタイルから派生したものになっているし、Southern Friedと一緒にやるアルバムだったんで、将来的に何をやるのかは別にして、“ダンス・トラック系のアルバムをもう一作つくろうか”という感じでした」
ーー『The One』の海外リリースがきっかけだったんですね。
「ええ。で、本当はもっと早く制作を終えているはずだったんですけど、このタイミングまでズレ込みました」
ーーSouthern Friedは、ちゃんとUKでプロモーションをしてくれましたし、『The One』は、海外活動の布石にもなりましたよね。
「そうですね。例えばMondo Grossoの時も、世界20数ヶ国で作品をリリースしたことがありましたけど、それとは意味合いがちょっと違うと思うんですよ。日本でつくったアルバムが、SONYのディストリビューションでワールド・リリースされるというものではなく、制作の段階からきちんと海外レーベルと一緒に仕事をしていったものなんでね」
ーーなるほど。そもそも海外へ本格的に進出するというアイディア自体は、どこから生まれてきたものだったんですか?
「もう、こういう時代なんで、スタッフ一同、べつに日の丸を掲げて海外に出て行くようなつもりは毛頭なくて、この6〜7年くらいDJベースで活動してきたこの状態を、海外でも普通にそのままやれればいいよね、って感じでやってきただけなんですよ。インターネットが普及して以降は、良い意味で、もう地域差とかがなくなってきているんで、国内に限定して活動を行う意味も、あまりないじゃないですか」
ーーでも、実際に海外に出て行くと、やはり日本とは全然状況が違っていたりするんじゃないですか?
「そうですね。でも、エレクトロ・シーンでは、そこに世界的な一つの共通認識みたいなものができたんじゃないですかね。それがエレクトロの功績なんだと思いますよ。例えば、これまでのトランス、テクノ、ハウスといった分野だと、日本で行われていることと海外で行われていることには、やっぱり温度差や地域差が結構あったと思うんですよ。でも、エレクトロと呼ばれてきたものに関しては、もっと全世界共通の認識があったんじゃないかと思うんです」
ーーエレクトロには、確かにそういう側面がありましたね。
「世界各国の温度差が少なかったし、アンセムも全世界共通だったし、そういう分かりやすさがあったと思いますよ、この何年かは。だから、海外でDJをしても、あんまり違和感がなかったですよ」
ーーとはいえ、実際に海外でちゃんと活動しているアーティストやDJの数は、少ないですよね。やっぱり海外進出は、そんなに簡単に実現できる話じゃないと思いますよ。
「そうなんですよね。そういう意味では、僕は本当に運が良かったんだと思います。Southern Friedで良かったって思いますよ。他のレーベルからも何回かお話をいただいていたし、実はもっと熱意を感じたレーベルもあったんですけど、Southern Friedは、すごく落ち着いたペースで物事を進めてくれて、ノーマン(・クック)が契約している大きなDJエージェントも紹介してくれました。海外で僕の認知が高まっていったのは、そういった要素が全て上手く作用した結果だと思っています」
ーー加えて、大沢さんの作品にも、ちゃんとオリジナリティーがあったからだと思いますよ。日本にすごくオリジナルな曲を出している人間がいるぞってところに、海外のレーベルも興味を持ってくれたんだと思います。
「そこは、自分では何とも言えないところなんですけど、やっぱり自分の作品、自分のリミックス・ワークに、みんな興味を持ってくれたんだとは思います。僕と似たようなリミックスをやっている人っていなかったし、リミックスをやる度に作風が違う点も、面白かったんだと思います」
ーー本作のスタジオワークでも、いろいろ実験をしていましたね。
「ライナーノーツにも書いたことなんですけど、自分の知っている技法や手グセで音楽をやらないというのは、自分にとってこの何年間かのテーマなんです。これだけ似たようなものが反乱しているこの時代、坂本龍一さんが、“全く何にも似ていないメロディーなんてもうない”と言っているこの時代に、自分がビックリするような何かを生み出すためには、かなり無茶苦茶なアプローチをしていかないと、もうダメなんですよ」
ーーなるほど。
「音楽って、決して技術でつくるものじゃなくて、今鳴っているその音楽を自分が良しとするかどうかという、判断の繰り返しでできていくものだと思うんですよ。だから、僕は今、音楽をつくる行程は実験であるべきだと思ってやっているんです」
ーー“SO2”というタイトルに、何か意味はありますか?
「いつも言ってますけど、アルバムは個展みたいなものなんですよ。ある特定の期間の作品をまとめた、大沢伸一展みたいなものなんです。それに、ダンス・ミュージック的なものなんで、テーマやコンセプトありきの、アタマで考えるような作品じゃない。聴けば分かるものじゃないですか。このアルバムに関して、僕は音楽にメッセージなんて込めてないし、純粋に“音楽”をつくっただけなんで、その音楽を聴いてくれたそれぞれのリスナーが、自分との関係性とか意味を何か見いだしてくれれば、それでいんです。作者であるというエゴイズムで、僕の方から“こんなコンセプトだから、こんな風に聴いて”みたいに言うつもりは、全くないですよ。ダンス・ミュージックにおいて、僕自身そんな押し付けがましいアルバムなんて聴きたくないですし(笑)」
ーーとはいえ、本作には、大沢さんのライナーノーツが付いていますね。
「あれは、こんな風にしてやったよ、という日記みたいなものですね。ニッチな感じというか、読んでもあんまり意味が分からないような話に終始してます(笑)。あんまり分かりやすく書く努力はしませんでした。難しいことを難しいなりに書いたんで、興味を持ってくれた人はそれを調べて、さらに音楽や音楽にまつわる旅に出てくれればいいって感じですかね。僕はやったことのない作業が好きなんで、書き出したら結構楽しくなっちゃいましたね」
ーー大沢さんは、もともと映画や文学も好きなんですよね。
「ええ。映画を観るのも本を読むのも大好きなんで。僕の場合、10代の時がリアル80’sだったこともあって、周りがみんな文学少年、フランス映画オタクみたいな環境で育ったんですよ。’80年代には、そういうカッコイイ文化に自分の身を投じるのがいい、みたいな雰囲気があったじゃないですか。今の時代にはありませんけど。でも、ニューウェイブも含めて、そういった人と違うことを考えようだとか、人と違うのは良いことだっていう文化に触れられたのは、良かったですね。ニューウェイブ世代ですから、その考え方はかなり植え付けられていると思います」
ーーええ。
「ただ、その反面というか、良くなかった一つの側面として、ちゃんと理解できる精神年齢に達する前に、あまりにも難しいモノに触れちゃったんで、表面的なカッコ良さだけを切り取っちゃってたような部分もあったと思いますね。背伸びをして、分かったフリをしていたというか。音楽は感じるものなんで、それで良かったんですけど、文学や映画って、人生経験とすり合わせた時に初めて理解できるような、もっと深いものじゃないですか。だから、当時触れた映画を改めて見直したりすると、いかに自分が勘違いしていたり、理解の幅が狭かったのかってことを、思い知らされますよね」
ーーなるほど。そういった思いから、再び映画や文学への関心が生まれてきているんですね。
「もし’80年代を過ごしてなかったら、こんな音楽家にはなってなかったと思いますよ」
ーー音楽家として、どこに到達したいとか、目標地点みたいなものはあるんですか?
「目標地点というわけではないんですけど、僕は本格的に映画音楽をやったことがないので、ビジュアルと音楽の関係性にもっとコミットしていきたいな、とは思ってます。例えば、映画自体を誰かと一緒にやってみたりして、そこで音楽の在り方を考えるとか」
ーーそれは、現実的に近くにある目標、といった感じですかね。実際本作は、全曲にミュージック・ビデオが付いた作品にもなっていますね。このアイディアは、どこから出てきたものなんですか?
「今回のアルバムにミュージック・ビデオを付けようというのは、たまたま日本のA&Rサイドから出てきたアイディアだったんですよ。最初はピンとこなかったんですけど、やってみたら“音楽って映像が付くだけでこんなに聞こえ方が変わったり、イメージが広がったりするんだ”って思いましたね」
ーー特に上手くいったと感じたミュージック・ビデオはどれでしたか?
「女性クリエイター三名の作品ですかね。特に「TECHNODLUV」。の迫田悠さんが担当してくれたこのビデオは、最初に取りかかったものだったんですけど、僕の中に、あのマッシブなトラックとは相反する、ちょっとファンタジーっぽくて可愛いキャラクターが行進している図、というのが一つあったんですよ。なんで、それを彼女に伝えたら、その場でスケッチをしてくれて、あのちょっと毒のあるクマのキャラクターが出てきたんです。で、“あぁ、クマいいですね”みたいになって(笑)。だから、このミュージック・ビデオはハマったというか、すんなり進みましたね」
ーーなるほど。他の女性クリエイターについても教えていただけますか。
「「LOVE WILL GUIDE YOU feat. TOMMIE SUNSHINE」のミュージック・ビデオに加えて、このアルバム全体のアートワークもやってくれたニッキーさん(Niky Roehreke/ニキ・ローレケ)というアーティスト。彼女も、僕が抱いていたイメージを最大限に拡張してくれましたね。それと、「ZINGARO」のYUKIKOさん。切り絵のアニメーションをやっている人なんですけど、この曲には僕の中で、当初から馬のイメージがあったんで、“馬だけは絶対に出して欲しい”ってことを伝えました。そうしたら、すごく楽しい映像というか…なんでしょうね。僕は、マッシブな音とファンタジーな映像を組み合わせた、ちょっとヘンなバランスのものが好きみたい」
ーーそれにしても、各曲にフル・レングスのミュージック・ビデオが付いているということは、DVDJができるってことになりますね。
「はい。ただ、DVDJでプレイできたらいいとは思いますけど、そこまでは考えてなかったですね(笑)。しかも、今はアルバムをつくり終えて、違う方向に気分がいってしまっているんです。ライブをアナログ機材でやりたいな、とか(笑)」
ーー本作の中で、特別な意味合いを持っていた曲はどれでしたか?
「やっぱり、「ZINGARO」とか「TECHNODLUV」じゃないですかね。どっちの曲も、自分がやってきたことの延長線上にはないものだと思うんで。僕、さっき“アルバムにコンセプトはない”って言いましたけど、完成した曲を並べてみると、結果として自分の中に共通の流れみたいなものはあって、それはフォークロア的なものだったんじゃないのかなって感じますね。時代や地域に特定されない民族的、民話的な何かというのは、どこかにあると思います。今作は、どういうわけか半音階が多かったり、俗にエスニックと呼ばれている要素が入っていたりしましたから。実際に、ベイルート、ヴォルケーノ・クワイア、メトロノミーみたいな音楽は、並行して聴いていたわけですし」
ーー本作の制作期間は一年くらいかと思いますが、あっという間って感じでしたか?
「これだけをやっていたわけじゃないんで、わりとあっという間でしたね。実働時間は、かなり少なかったんじゃないかな。こねくり回した曲もありましたけど、へたしたら数時間で終わった曲もあったんで。でも、それを自分の中で熟考して、“コレはこれでいいんだ”っていう風になるまでには、かなり時間がかかったと思います」
ーー次のアルバムはいつ頃に出したいと思っていますか?
「まだ何も考えてないですけど、ダンス・トラック的なアルバムは一回お休みするかもしれないですね。どうなるか分からないですけど、ダンス・ミュージックという制約すらない音楽をやってみるかもしれません。また別の名義でね。まぁ、今年に関しては、『SO2』のこと、Bradberry Orchestraのこと、LDKのことで手がいっぱいだと思いますよ。もちろん、他アーティストのプロデュースもやると思います」
interview TOMO HIRATA