THE PRODIGY インタビュー


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’90年代初頭にレイヴ・シーンから登場するや、瞬く間にイギリスの国民的人気バンドとなったザ・プロディジー。’97年にはアルバム『The Fat Of The Land』を世界22ヶ国で初登場1位に送り込み、1,000万枚のセールスを樹立したモンスター・グループだ。レイヴ・ミュージックとパンク〜オルタナティヴ・ロックを融合し、独自の音楽性を確立した彼らは、その後一時活動休止状態となっていたが、『Always Outnumbered, Never Outgunned』(’04)でシーンに復帰。近年はライブ活動を積極的に展開しており、昨年はサマーソニックで日本のファンにもその健在ぶりを見せてくれたばかりだ。
そんな彼らが、約5年ぶりとなる、通算5作目のオリジナル・アルバム『インヴェイダーズ・マスト・ダイ』をリリースした。久しぶりにリアム・ハウレット、マキシム・リアリティ、キース・フリントの三名で制作に挑んだ、完全なる“ザ・プロディジー”作品だ。最高のバンド・アルバムにしたかったというその内容は、歪んだシンセ・トーンと高速ビートがうなるパワフルなもの。時に新世代のエレクトロ・サウンド、時に一度は決別を果たしたオリジナル・レイヴ・サウンドに歩み寄り、これまでとはひと味違うパンキッシュでレイヴィーな楽曲を生み出している。
完全復活と形容するに相応しいエナジーとアイディアがつまった『インヴェイダーズ・マスト・ダイ』。本作が誕生した背景とその内容について、来日していたザ・プロディジーの三名に話を聞いた。



テーマは、
完全なるバンド・アルバム


――三名揃ってのアルバム制作は約11年ぶりになりますが、どのようにスタートしたのでしょうか?

リアム・ハウレット「11年ぶりというと、その間俺たちが離ればなれになっていたように聞こえるけど、バンドは一度も解散したことがない。俺たちはバンドとして、ずっとレコーディングやツアーをやっていたからね」

――レコーディングを共にやっていなくても、三人はずっと一緒だったんですね。

リアム「ザ・プロディジーは、ヴォーカル・バンドじゃなくて、ミュージック・バンドなんだ。ヴォーカルは必要なときにだけ入る。だから、「Firestarter」をリリースしたと思ったら、次には「Smack My Bitch Up」をリリースできる。つまり、ある曲でキースがフロントに出たとしても、次の曲ではそうならないかもしれない。そして、そのまた次の曲では、マキシムがフロントに出たりするかもしれない」

マキシム・リアリティ「俺たちには、全曲をヴォーカル曲にしなきゃいけないなんて制約がないのさ」

――確かにそうですね。

キース・フリント「俺たちにとって、ザ・プロディジーこそ究極の音楽が存在する場所で、自分がヴォーカルをとらなくても、俺は常にザ・プロディジーの一部なんだ。11年の間には『Always Outnumbered, Never Outgunned』のリリースもあったけど、その制作の最後の方で「Warning」という曲を一緒につくった。この曲は、アルバムには収録されなかったけど、ライブで必ずやる曲になっているよ」

リアム「で、俺たちは、『インヴェイダーズ・マスト・ダイ』のレコーディングに入るとき、新作をバンド・アルバムにしようと決めたんだ。最初から最後までライブで演奏できるアルバムをつくろうということになった。俺たち全員の影響が入った作品にしようとしたんだ」

キース「前作の後に、アップデートした「Their Law」をリリースしてツアーをやったとき、俺たちが長い間一緒にレコーディングしていないことを、みんなが気にしているようにも感じてね。“だったら、そういったことを吹っ飛ばす、完全なバンド・アルバムをつくってやろうじゃないか”って話し合ったんだ。そういったことに片をつけてやろうってね」



タイトルは、
苦境を乗り越えた勝利宣言


――『インヴェイダーズ・マスト・ダイ』というタイトルには、あなた達のどんな気持ちが託されているのですか?

リアム「俺にとってこのタイトルは“自分にとって大切なことを防御する”という意味で、俺たちからみんなへの声明みたいなものだ。バンドにいるとギャングの一員のように感じることがあって、他人はみんな敵となる。そういった考えから来ているタイトルだね。でも、メンバーそれぞれが違った意味を考えていると思う。タイトルはレコーディングを開始してから、意味のある言葉になっていったんだ」

キース「前作は、バンドの状態が最高の時のものじゃなかった。俺たちもそれは分かっていた。そして、それをどうやって良くしたらいいかも分かっていた。だから、俺たちは心配していなかった。でも、その弱点を見つけて、上手くつけ込もうとしてきたヤツらがいたんだ」

リアム「俺たちは少し考えすぎていたのかもしれない。俺たち三人の間に何か問題があったというわけじゃなくて、パラノイアになっていたって感じかな」

キース「12年間一心不乱にツアーしてきて、時には離れることも必要だったけど、その隙間が大きくなりすぎていたんだ。俺の場合、ソロ作品をつくろうとしたことは、良いことじゃなかった。ザ・プロディジーのために24時間を費やしていた人間が、突然“今スタジオに入ってるから、木曜日には行けないよ”なんて言っていたんだ。でも、リアムが「Spitfire」を聴かせてくれたとき、ザ・プロディジーの音楽ほど俺にとって意義のあるものは他にないこと、俺の心がこのバンド以外の何にも属していないことを確信したんだ」

リアム「本当の話だ。長期間活動するというのは、いろんな試練を経験するということだ。だからこそ、バンドは印象深い存在となる。だから、このアルバムは、タイトルの通り挑戦的な作品になった。俺たちにとっての、勝利の作品なんだ」

キース「まず先にこのアルバム・タイトルがあったから、このタイトルは成長していって、あらゆる面においてアルバムに不可欠な要素となったね。収録曲の何曲かは、このタイトルから影響を受けたものになっている。すべてはこのアルバム・タイトルから生まれ出たんだ」

――では、アルバム制作を開始した当初、あなた達にとっての最大の敵とは、何だったんでしょうか?

リアム「特定のバンドや人物じゃなく、むしろ自分自身、自分自身の中にいる悪魔だったかもしれない。だから“インヴェイダーズ・マスト・ダイ”は、自分自身のモチベーションを頂点に持っていくための、自分自身に向けた言葉でもあったと思う」



原点に立ち返った曲づくり


――実際の曲づくり〜レコーディングには、どのようなスタンスで臨みましたか?

リアム「レコーディングに制限を設けたくなかったから、リラックスした雰囲気の中、何でもアリで臨んだね」

マキシム「で、仲間や友達を呼んでセッションをしたりもしたけど、結局は三人でつくるのが一番良かった。そこに気づいたのが上手くいった要因だね。結局、もともとの作業スタイルが一番良かったというわけさ」

リアム「この三人こそがザ・プロディジーなんだ、ってことを再確認できたよ」

――スタジオで原点回帰したわけですね。

リアム「俺がスタジオで曲を書き上げているときにキースが指摘してくれたんだけど、何曲かは実際に昔と同じ方法で書いていたようなんだ。自分ではそんなふうに分析していなかったから、彼が指摘してくれなければ気づかなかったかもしれない。「Take Me To The Hospital」や、特に「Warrior’s Dance」は、’92〜3年の頃の作曲方法と同じスタイルで書いていた」

――「Warrior’s Dance」には、ジェフ・ミルズが手がけたレイヴ・クラシックとして有名な、トゥルー・フェイス「Take Me Away」(’91)のフレーズがサンプリングされていますね。この曲は、どのようにして誕生したんですか?

リアム「「Warrior’s Dance」は、転機となった曲だった。レコーディングを始めてから4ヶ月くらいは、いろいろと違った方向性を試していたんだけど、その頃ゲートクラッシャー(UKのビッグ・パーティー)の大きなフェスがあってね。キースが“アルバムのことは忘れて、ギグ用の新曲を書こう”って言い出したんだ。で、’08年は、ちょうどアシッド・ハウス20周年にあたる年でもあったから、それをインスピレーションにして、ギグ用に書いたわけさ」

マキシム「この曲はそんな感じだな。ちょっと違う次元のことをやってみたんだよ。ループを組み合わせてね」

リアム「「Warrior’s Dance」は、あっという間にできたんだ。この曲のおかげで、サウンド面とは別に、作曲方法に関しての気づきが得られたと思う。その後は、決して簡単ではなかったけど、次々と曲が完成していったよ」

キース「確かに、この曲がきっかけとなったよな。俺はリアムに言ったんだ、“本来のオマエの音を使うことに躊躇するな。オマエがこの音のオーナーなんだ”ってね。で、俺は、リアムが以前と同じ方法で曲をつくっているのを見ていて、作曲において新たな自由が生まれたと感じたんだ。そこにはフリーダムがあった。リアムは、曲づくりを純粋に楽しんでいたんだよ。見ていて新鮮だったね」



俺たちは、レイヴの所有者


――「World’s On Fire」にも、有名なレイヴ・クラシック、アウトランダー「Vamp」(’91)が大胆に用いられていますね。

リアム「アウトランダーの「Vamp」は、俺たちのレイヴ時代のお気に入りで、当時とてもクールなレコードだった。あのころはベルギーのR&Sから出ていた作品が、本当に好きだったよ。俺の大きな影響源だね」

キース「「Vamp」のレコードを見ると、俺たちがDJとつるんでいた、あの頃の気持ちに戻るんだ。俺たちはレイヴ・シーンの頂点にいて、レイヴ・シーンそのものだった。あのシーンの一部だったことを誇りに思う。思い出もたくさんある。そこにウソはないよ。’90年代、俺たちは実際にあのシーンの当事者だったんだ」

――マンフレッド・マンズ・アース・バンドのソウルフルなホーン・セクションとアシッド・サウンドを融合した「Stand Up」も、オリジナル・レイブ時代を彷彿とさせるトラックですね。この曲を本作のラストにした理由は何ですか?

リアム「’90年代のレイヴでは、最後にみんなが“もう一曲、もう一曲”と言うなか、DJがスローでアップリフティングな、お客さんを気持ちよく返してあげるようなトラックをかけていたんだ。俺は「Stand Up」で、そこにあった感覚を取り戻したかったのさ。一気に終わらせるんじゃなくて、勝利の余韻を味あわせるような感覚をね。俺たちのライブも、イントロがあって、途中にバンク・ロックのようなクレイジーなフィーリングがあって、最後はみんなを気持ちよく帰してあげるようになっている。このアルバムには、そんなジャーニーの要素も入れてみたのさ」

――ところで、あなた達は昨今のニュー・レイヴ/レイヴ・リヴァイヴァルを、どのように評価しているのでしょうか?

リアム「ニュー・レイヴは、特にイギリスにおいては冗談のようなもので、クラクソンズらのバンドは、プレスと一緒になってそれを楽しんでいるんだ。彼らは、いいバンドだけどね。で、レイヴ・サウンドは俺たちのもので、俺たちそのものだ。レイヴはリアルで本物のブリティッシュ・カルチャーだし、俺たちはそこに戻って表現する権利を持っている。だから、このアルバムでは、当時のサウンドを少し活かしつつ、“今”の音を表現しているよ」



進化したロッキン・グルーヴ


――ロッキンなグルーヴは、ジェームズ・ラシェント(ダズ・イット・オフェンド・ユー・ヤー?)の参加した「Invaders Must Die」や、デイヴ・グロール(フー・ファイターズ)の参加した「Run With The Wolves」で顕著に表れていますね。彼らと制作することになった経緯を教えてください。

リアム「ゲートクラッシャーのショーの後にジェームズがやってきて、“あなた達の音楽は最高です! 五年間、あなた達のサウンドを盗もうとしてるんですよ”って言ってくれたんだ。彼とは、それ以来いい友達としてつき合っているよ。で、俺はその一週間後にスタジオに戻って「Invaders Must Die」の制作をしていたんだけど、7割くらいでき上がったところで、“ジェームズに何かやってもらったらどうだろう?”って思いついたのさ。普段は、他のプロデューサーとアルバムづくりなんてしないんだけど、やってみようと思ったんだ。実際、あっという間に作業は終わったよ。彼も俺と同じように、DIY精神でさっさと作業を進めていくタイプだったからね」

――デイヴ・グロールは、古くからの友人なんですよね?

リアム「デイヴは、俺たちがこのアルバムを作り終えた頃、“ツアーを終えたから、またドラムを演奏したい”ってEメールしてきたんだ。で、一週間後に、4時間ほどのドラム演奏が入ったハードドライブを送ってきたから、いくつかのパートをピックアップして「Run With The Wolves」をつくった。そこに、一年くらい前にキースが書いたヴォーカルを乗せてみたら、“クールじゃないか! なかなかいいぞ”ってことになってね。そういったことも、たまには起こるさ」

キース「本当だな。そいつは自然発生的なことだった。フレンドリーなEメールから自然に起こったことだ。でも、窃盗(サンプリング)が命のリアムが、デイヴ・グロールから直接盗むチャンスを見逃すはずないだろ(笑)」

リアム「この曲ができる前、アルバムは既に完成したと思っていたんだけど、これはアルバムの毒になるなって思ったよ。「Run With The Wolves」には、他の収録曲にはない側面があったんだ」

――ちなみに、本作のファースト・シングルには「Omen」が選ばれましたが、この曲をプッシュした理由は何でしたか?
リアム「自分たちが前進したって分かる曲をシングルに選びたかったんだ。このアルバムには、3〜4曲シングルになり得る曲があると思っているんだけど、「Omen」をライブで演奏したとき…」

キース「リアクションがすごく良かった」

リアム「「Omen」はアンセムのような曲になっているし、そこが気に入っているんだ。これまでの俺たちの楽曲とは、少し違った曲だね」



究極のプロディジー・サウンド


――本作は、結果としてパンクでもありレイヴでもあるザ・プロディジー独自の音楽性を、さらにアップデートしたものとなりましたね。

リアム「そういってもらえると嬉しいね。初期の頃は、俺たちに困惑する人々が大勢いた。テクノが好きだったらテクノ・アーティストになって、テクノをつくるべきだと考える人が多かったんだ。俺たちは理解されなかった。“どうしてこいつらは、ヒップホップも好きでテクノも好きでロックも好きだ、なんて言えるんだ? どれもこれも好きなはずないだろ?”ってね。でも、俺たちはそういった音楽が全部好きで、“これは俺たちの好きな俺たちのカルチャーで、俺たちの音楽はその産物なんだ”って言ってきた。俺たちの音楽は、境界線を超えている音楽なんだ。俺たちが活動を始める前、ロック・クラブでダンス・ミュージックがかかることはなかった。でも、「Voodoo People」(’94)はロック・クラブでもプレイされ、ロック雑誌のケラング!も取り上げてくれた」

――ダンス・シーンにもロック・シーンにも訴えかける音楽性は、既にそのころ確立されていたんですね。

リアム「ただ、このアルバムはダークな作品ではないんだ。『Music For The Jilted Generation』(’94)はダークな感じだったけれど、ニュー・アルバムはもっと“アップ”な感じだ」

キース「意気揚々としている」

リアム「『Music For The Jilted Ge- neration』と同じくらい、ブルータルでハードだけどね」

――では最後の質問です。本作のサウンドは、現在の社会的状況を反映していると言えますか?

リアム「このアルバムでは、そういったことは重要じゃなかったね。パーティー・アルバムとして、良い作品をつくりたかったんだ。もしかしたら、今の社会状況に対するリアクションとして、パーティー・アルバムをつくりたいと思ったのかもしれないけどね。今は、困難な時代だからな」

キース「俺たちの音楽は、現実逃避なんだ。世の中が辛い状況ならば、俺たちのショーに足を運んでくれ。俺たちがそれを変えてやるよ。ハッピーな時間を過ごして、互いに抱擁し合うってもんじゃなくて、ちょっと羽目を外せるような時間を味わわせてあげる。俺たちはこういう時代にこそ生き残れるバンドだし、こういった状況だと逆に強くなって、バンドとして最高の状態になるのさ」

original interview & text FUMINORI TANIUE / translation STANLEY GEORGE BODMAN
official interview YUZURU SATO / translation MARIKO SHINBORI
photo PAUL DUGDALE


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THE PRODIGY
Invaders Must Die
(JPN) VICTOR / VICP-64654

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